被災地への寄付

2011年3月11日。私はひとりで洋服を買いに街へ出ていました。

買い物をしている途中、店内にいたお客さんが「なんか東北で地震があったみたいよ」と言っていた記憶があります。自宅に帰ってテレビを観て、愕然としました。テレビ画面に広がっている凄惨さに、言葉を失いました。

私が住んでいる地域は身体に感じる地震があまりない地域なので、地震といってもいまいちピンとこないのですが、目の前の光景はあまりにも衝撃的で怖く恐ろしい勢いで津波が押し寄せ、人々の生活を押し流していく様はひどいの一言しか出ませんでした。

地震が起きてからすぐに、ネットやテレビでは震災のための募金が開始され、すぐに振込みのできるネット口座から私もわずかですが、募金をさせていただきました。

それからまた数日後、何度も震災の画像が流され、みるたびに悲しい気持ちになっていき、毎日のようにテレビの画面には「がんばれ、がんばれ」の洪水でした。

私も経験があるのですが、あまりにもショックなことが起きた後に「がんばれ」と言われても、悲しみのあまり心が追いついていかないんですよね・・・それでも東北の皆さんは懸命に黙々と復興に向けて歩きだされていると感じます。

テレビでの報道がひとまず落ち着いた後、各テレビ局の募金や、有名人の方が立ち上げたチャリティー、赤十字などの募金、政府の復興予算などが届けられましたが、テレビの報道でもあったように、直接被災者の方に届くのがあまりにも遅すぎる制度に、違和感を感じずにはいられません。

NPOが復興支援の援助金を騙し取る事件や、復興募金を隠れ蓑にした詐欺など、人の善意を踏みにじるような詐欺事件もあり、真面目に支援活動をしている方がNPOにしたら怪しまれるので、あえてNPOにはしないと語っておられるのも目にしましたが、最近ではテレビの報道も下火になり、世間的にも「もう、募金とかいいんじゃない?」という空気があるような気がします。

ただ、民間企業は募金という形ではなく、クラウドファンディングというサービスで、直接被災者へ支援を行おうとする流れが出来ており被災者の方は少しづつ前向きに動けているようです。
ベガルタ仙台発のクラウドファンディング

私自身も、恥ずかしながら、自分の心の中でこの震災を風化させないためと、少しでもお役に立てたらと思い、自分で作ったハンドメイド雑貨を支援金代わりのチャリティーへ送ったりもしていますが、人々が復興に対して無関心になることが、復興の一番の妨げになっているのかもしれません。

子供たちを救おう

私は宮城県で被災しました。大震災直後は電気が通っていなかったため、テレビがつかず、状況はラジオでしかわかりませんでした。映像を見ることができたのは大震災から一週間後の出来事でした。その映像から見えるのは、スケッチブックにまだ会えていない家族や親戚の名前を書き、涙ながらに自分の居場所と無事を知らせている映像でした。しかし、一週間ぶりに見れたテレビでは、現実に起きていることとは信じがたい映像が流れていました。私は、内陸部に住んでいるので、津波などによって直接的な被害を受けたわけではありません。だけど、あの時の強い揺れと津波の映像、涙ながらに一生懸命自分の家族や親戚を探したり、呼びかけたりしている姿を一日も忘れたことがありません。被災地では本当に少しずつですが、復興が進んできています。だけど、これから問題になっていくことは、目に見える復興だけではなく、目に見えない復興だと思います。目に見えない復興とは、心のケアということです。被災した大人も心に大きな傷を抱えていますが、それ以上に子どもも心に大きな傷を抱えています。幼稚園や保育園に通っている子ども達の中で、一時期、地震ごっこというものが流行りました。一見、不謹慎のようにも感じますが、地震ごっこというものは、子ども達の心の傷が関係しているのです。子ども達は大震災の大きな揺れと津波の映像、被災生活を通して、長い緊張状態が続いていました。それがストレスとなり、地震ごっこというものを通して自分の緊張状態を和らげていたのです。それと、少し乱暴な行動をする子どもも震災前に比べたら増えてきているのです。人に当たったり、物を壊したり、例えば積んでいた積み木を崩したりして遊ぶことによって、ストレスを発散しているのです。私は、テレビで、震災の心の傷を動物達を利用して癒すという番組を目にしたのですが、それはすごく良いことだと思いました。目に見える復興はもちろん、これからは、心の方もどんどん復興していけば良いな、と思いました。

東日本大震災後に行った事の無かった東北に行き被災地の現状に少しだけ触れる

3.11に起こった東日本大震災が起こった時は関西にいました。

当日はテレビ画面を通じて知るのみで、関西でも電車が停止したり携帯が繋がらなくなる等のトラブルがありましたが、日が経つにつれて現地の状態を報道を通じて知ったり、Twitter等のSNSを通して知る事になりました。

私自身日本国内を色々と旅行に行った事があるのですが、東北の岩手、福島だけ行った事が無かったです、ですから震災が起こるまではよく知らない県という印象だったのですが、あれだけの大震災が起こったという事と、私自身が神戸の震災の直接的な被災者では無いですが影響のある場所で暮らしていた事で復興支援活動等を行った事もあり、東日本大震災が起こってからは非常に気になるようになりました。

震災直後は遠方から被災地への寄付等しか出来ていなかったのですが、被災地でモノを買ったり食べたりという事が1つの復興支援になるのではと感じ、旅行という形ですが、被災地である岩手、宮城、福島の方に行きました。

メディアから通じてみる被災地の現状といのは段々と風化して、日常でも忘れがちになっていた頃ですが、実際に仙台空港に到着した時はまだまだ周辺に震災の影響があるようで、レンタカーを借りる時にも震災で近隣のガソリンスタンドが無くなったという事も言っていましたし、まだ木が倒れたままであったり、所々工事現場が多くてまだまだ復興途中で震災被害があるような感じに見えました。

宿泊したホテルでも来客は激減したと言っていまして、少しづつですが旅行客が戻りつつあるとも言っていましたが、まだまだ復興途中です。
訪れた仙台市内や岩手の平泉のような内陸部分はそれほど影響を見られなかったですが、海岸沿いの辺りには爪痕が残り、何も無い状態の所もありました。

いずれにしても私は直接的に原発や仮設住宅等に行ったわけでなく被災地の現状の末端に僅かに触れただけですが、それでも旅行中に爪痕が垣間見えてまだまだ復興は途中であり、継続的な支援というのは必要だと感じました。

「風化」を食い止める特効薬は「こだまでしょうか」

東日本大震災からまもなく丸3年になります。被災者とその関係者を除けば、多くの日本人にとって震災被害の「風化」がいつのまにか進んでいることは、大変残念ではありますが、否めないのではないでしょうか。
首都圏に住んでいる私はあの地震を「震度5」で経験しました。東京両国に住む私の弟のマンションは、実際に小さいながら被害を受けました。
そんな私でさえ、情けないことに、今では「たまに思い出す」程度です。自分の不人情と愚かさにあきれますが、それが正直なところです。
ところで、あの震災のあと、もっとも印象的だったのがテレビコマーシャルです。今でも記憶にしっかり残っています。あの当時、民間企業が足並みをそろえて「CM自粛」したため、民間の放送局では「公共広告機構」のコマーシャルを繰り返し繰り返し流し続けました。
かなり長期間続いたのではないでしょうか。日本人にとって忘れらないコマーシャルだったと、私は思います。被災しなかった日本人の多くにとって、あのコマーシャルが「大震災の記憶のシンボル」のような存在だったように、私は考えるのです。
中でも、昔の女流詩人の詩をモチーフにした「こだまでしょうか」が強い印象を残しました。私はあのとき、図書館に行ってその詩人の詩集を借り、その後、朗読のCDも購入しました。
「『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。(中略)こだまでしょうか。いいえ、だれでも」。このフレーズを目にして「なつかしい」と感じる人は少なくないでしょう。
そこで、提案です。民放テレビは3月11日にこのコマーシャルをまた流してはどうでしょうか。いいえ、3その日に限らず、折に触れて「こだまでしょうか」を繰り返し放映してはどうかと思うのです。
コマーシャルの記憶は、年齢に関係ありません。まさに老若男女、「こだまでしょうか、いいえ、だれでも」のフレーズを耳にすれば、「2011年3月11日」の惨事と、そのときの自分のこと、その後の「不思議な日常体験」を思い出すにちがいないのです。
「風化」を食い止める、もっとも手っ取り早い方法が、「公共広告機構のコマーシャルの復活」だと、私は考えています。
その時、別のバージョンのコマーシャルもありました。それらも含めて「復活」することを、私は切望しています。

3月11日とマスコミの特集

東日本大震災については、テレビを通じて知りました。実際に足を運んだことがないから、被災の直後から現在にかけての状況についてあまりわかりません。1年を経過した時点で、かなり復興が進んで瓦礫が撤去されている様子が垣間見えました。

現在は被災地に対する寄付として、間接的ではありますが、金券を買って使うことによって、そのうちの数%が寄付されています。東日本大震災からの復興に役立つことができれば幸いです。

大震災の直後はニュース報道は一面同じでしたが、しだいに海外メディアとともに風化しつつあります。マスコミが取り上げなければ、一般には知れないからその点が問題点かもしれません。どのような事柄でもマスコミがニュースにしていることは実際に起きたとほぼ確実に信頼していますが、実際に見たわけではないからただメディアのなすがままに情報を仕入れています。

その影響として、昔の会社の同僚に会ったときに、配属先が被災地になったというのを聞きました。公共インフラを提供している企業であるから、もはや街のインフラ面の復興は仕事の一部となっているみたいです。

福島や岩手の被害状況に関しても、ほぼ情報が途絶えているため、いまどうなっているのかについてはわかりません。当初ほど世間的に支援物資を集めたり、寄付が盛んではないけれど、まだまだ一部の支援者を中心として支援物資が運ばれているかもしれません。福島原発に関しても何度も報じられてきました。目に見えない放射線の影響で被災地に住めなくなった方は、他都市に引越しをして暮らしておられることでしょう。

どんな大人たちも子供たちも救おうというプロジェクトはどんどん進行していってもらいたいです。

距離が遠いから行ってませんが、一度は訪れてみたい土地です。現状としてどのようになっているのか、興味はあります。これからも大震災の起きた月日にはマスコミで特集されますが、やがて何事も無かったかのように街が蘇っていると予測されます。

 

東日本大震災の被害について

2010年の3月10日、私はいつもと変わらずお仕事先に出勤して仕事もさほど忙しいといった感じではなく、とても穏やかな天気なまま今日も終わったら何を食べようかなどと考えながら15時くらいになろうとしていました。
一瞬ドン、という下から何かいつもと違和感のある地響きに地震が来ると思った時にはいつもとは違う揺れが連続で続き、建物はもう30年以上も経つ物件なので揺れもギシギシといった感じでした。
同じ場所に居たほとんどの人が驚き、こういった訓練を日々やってきているものの大揺れの中では誰かが冷静な判断をしなくてはならないと思い、私は年下の怖がる子を連れて男性の人達と外に出るがとにかく危ないからゆっくりとビルを出ようということになりました。
少し高い丘の上に上がり、津波の心配もあったので寒かったものの、まだ安心出来る場所だったので揺れは絶え間なくありましたが電車は完全に止まっているのもわかるくらいでしたがとにかく情報で全員が個々に連絡を取りたいのに取れないという状況になっていました。
夕方になるにつれ、帰宅していく方達も増えるのですが、ヘルメットをかぶって家まで徒歩で帰宅する人から車やタクシー、自転車やバイクなども多く道は渋滞をしていてなかなか進みませんでした。コンビニのトイレは使えない、水は出ない、そんななかで自分も歩いて家に帰宅した時にはもう家を出てから6時間経過していました。
水は出ない、ガスも出ないなかで帰宅する途中は液状化した泥で車が埋まっていたり、土管が飛び出していたり、道が割れているなど、家に近づくにつれてどんどん道が悪くなって、家のあちらこちらの一軒家を見ると斜めに傾いている場所もありました。
翌日になっても水は出ないのですが、自衛隊の方が水の配給と仮設トイレなどの設置をしてくださいました。しかし家はトイレも使えず、今まで綺麗だった道はひび割れ以上に酷いデコボコも道になっており、2013年現在もまだ工事などが続いていますが水の復旧には10日間もかかり電車も動かず仕事に行けずにただ水をもらいに行ってはご飯を食べるということに繰り返しでした。
もう二度とこんなことは嫌ですが、よりこの経験を経てからは辛いことを乗り越えることが多く出来るようになりました。

福島の被害状況

東日本大震災から、3年が経とうとしています。当時の事で一番印象に残っていることは、やはり原子力発電所の爆発でしょうか。爆発の瞬間をテレビのニュースが報道しました。恐怖で震えが止まりませんでした。正直日本は終わってしまうと思いました。仕事も手に付きません。小さいころにニュースで見たチェルノブイリの悲劇が頭をよぎります。チェルノブイリのニュースは、私が小学生の時に頻繁に報道されていました。雨にぬれたら白血病になるとか、頭が禿げるとか、嘘か本当かわからない情報が蔓延していました。はだしのゲンの世界みたいになるのだろうかと、恐怖でした。今でも恐ろしい記憶です。
阪神大震災を見ても、神戸は見事に復活しています。でも福島は放射性物質のせいで、足踏みをせざるを得ない状況です。この件さえなければ、福島は見事に復活できていたのではと思います。ピンチをチャンスに変えることも出来ない状況。歯がゆいです。再生するには人々が戻ってきて前と同じに生活できることが必要だと思いますが、それは無理な話です。風評被害といますが、子供の健康にもしものことがあったら嫌だから、福島の方には申し訳ないですが、出荷の規制が解除された後でも、あちらの農産物や海産物を買うのは抵抗があります。同じような考えを持つママ友もたくさんいて、福島のの食べ物はなるべく買わないと宣言するママ友も何人かいます。政府がどんなに安全キャンペーンをしたって、その政府を信用できない状態ですからね。信じられない人も多いのは当然です。
現在では、大分報道も落ち着いてきました。東京オリンピックの開催も決定し、世界的に見ても、大丈夫という雰囲気が広がってきていると思います。それでも気にする人はたくさんいます。でも気にしない人、世論が安全だと言えばそうだと思う人もいます。産業の発展が復興への一番の近道ですから、そのように思う層に福島を支援してもらえるよう、農産物海産物などを全国的に出荷して、復興の助けになればいいと思います。